真実の彩。

そして今この瞬間に君はもっともっと美しくなるんだね

ジャニヲタ受験生、地獄の一年。

 

魔の受験期を終えて早1ヶ月。

とうとうこの地獄の一年を客観的に捉えて執筆する覚悟が出来たかもしれない。

本当は大して何も書く気は無かったが、ジャニヲタにとって「受験生」という期間は誰しもが通る試練であり、そもそも単純に「受験」とは今後の人生を大きく左右する分かれ道である。だから是非誰かの参考になればな、と。あとは自分でもどれだけ(感情面において)怒涛の一年だったか記録したいし。というか後者の方の動機が強い。

 

 

私は受験生になる前、というかそもそも「受験生になる前」という表記が正しいのかどうかも定かではないが、恐らく全国の進学校では口酸っぱく言われているであろう『受験生0学期』なるものに突入する前である高2の年末頃、大学受験を経験したジャニヲタ先輩のはてなブログを読み漁った。

未だに自分に受験生になる覚悟が出来ていなかったこともあり、ジャニヲタを辞める覚悟を決める後押しになればいいなと思って。

 

結論、ならなかった。

そもそもはてなブロガージャニヲタ先輩方は、私とは持ったスペックが違う。

ここで私の絶望的な経歴を紹介しておこうと思う。

  • 県立女子校
  • 帰宅部エース(運動部を1年で退部)
  • 2年次の文理選択により理系に在籍

 

ここまではまあ普通に経歴紹介。

絶望的なのはここから。

  • 落ちるところまで落ちた校内底辺学力
  • 理系在籍でありながら理系科目が壊滅的
  • ジャニヲタ

 

「ジャニヲタ」という肩書きを絶望的と言うのも忍びないが、如何せん本当に足枷だったと今でも思うので。

 

私の読んだはてなブロガーのジャニヲタ先輩方は恐らくそれほど絶望的な学力だったわけでも、怠け者だったわけでも、怠惰な生活を送っていたわけでもないのだろう。きっと私と違ってそれなりに真面目に、楽しんで、学校生活を送ってきたことが垣間見られた。

だから記事には「ジャニヲタを辞めないといけない」という旨が一切と言っていいほど記されておらず、底辺な私には羨望の対象にしかならなかった。更には「いや自分もそんなに思い詰めなくてもいいのでは…?」という謎の希望まで生まれてしまった。

しかし私は「ジャニヲタであること」で受験を失敗することだけは絶対に嫌だった。自担のせいで受験失敗なんてシャレにならない。

そういうわけで、結局自力で奮い立つ運びとなったのである。

 

 

高1、高2と、大学受験は高校受験と違って数ヶ月でどうにかなるものではないと周囲の大人に耳にタコが出来るほど言われるも、無視。今が楽しければいい!高校楽しい!女子校楽しい!ジャニヲタ最高!!女子校のジャニヲタはマジで最高!!とうつつを抜かして日々遊び呆け、校内で団扇やペンラをぶん回して走り回り、窓枠や机のフックには写真や団扇やハンガーが収まり、人目を気にする必要もなくそれはそれはもう快適な女子校ジャニヲタライフを謳歌していた。

 

ところが、高校受験はジャニヲタとしっかり両立出来たのに、大学受験ではそうはいかなくなった。両立は厳しいと気づいた。高校には確か入試の9割の点数で入学していたはずなのに、今このままの学力では行ける大学がどこにもないのでは?ということにも気づいた。

 

ここからは私の受験生0学期からの怒涛の生活を記していきたい。

 

まず受験生0学期に入るにあたって、ようやく文転を決意。やはり私には理系科目が合わないと思った。

念のために記すが、文転とは文系に転じることであり、私は理系クラスに在籍していたが、クラスを変えることはできないのでそのまま独学で社会科目を学び、文系の学部学科を受験することにした。単純に数学とか生物とか化学とかをこれ以上やりたくなかった。

 

そして次に、大まかな志望校を定めた。

将来特にやりたいこともなく、なんとなく大学に進学し、なんとなく就職すればいいやなどと考えていたクソアマ、ここにきて壁にぶち当たる。結局1年生の頃に学校行事として訪れた大学や、2年生の夏休みに友人に誘われてなんとなくついて行ったOC、後は単純に社会的な評判や世間体などを勝手に基準にして「とりあえずこのレベルあたりでいいか」と安易に定めた。芸能活動をしながらAO入試明治大学に合格している伊野尾さんになんとなく負けたくないという底意地みたいなところも無くはない。(国公立至上主義の学校でまさかの私立文系一本に早々と決意。) まずそのレベルが当時の自分からは想像もつかないくらいであったので、「このあたりでいいか」というよりは「このレベルに入れたらいいな」と思うのが正解だったと思う。高飛車かよ。そもそも彼はAOなのに。(AOを卑下しているわけではなく単純に自分とはフィールドが違うのに、という意。)

 

そして、とうとう予備校へ。

眠り姫という異名を持っていた当時の私は授業爆睡待った無しなので、逆に映像授業はどうだろうと、一番仲の良い友人が一足お先に入っていたからという安直な理由も加わりとりあえず入塾。若い男担当が付けられる。志望校を話す。「絶対に不可能なわけではないし、ここ数年で見れば何人かはここ(要するに底辺学力)からそのレベルに合格してる人もいますから大丈夫です」と、暗に"なかなか厳しいぞ"ということを伝えられる。(この担当の若男は後々とてもお世話になる) とりあえず独学でいかねばならない日本史の授業を受けたいと伝える。そして2月から日本史の受講開始。

(私は日本史Aを勉強した経験も無く中学までの社会で歴史が好きだったという理由だけで日本史を選択した。よって結果的に日本史Bの勉強に着手してぴったり1年で受験本番を迎えるという伝説を生み出した)

 

文転を決めたと前述したが、当時の担任は担当教科が理系科目だったこともあり「文転は大変だぞ〜〜??このまま頑張ってみろよ〜〜」とニコニコしながら肩を叩いて無駄に励ましてくる割りにはなんの助けもしてくれないような先生だったのでその時点で学校に頼るのはやめた。あんのクソハゲが!!!!

確かに文理選択をする1年生の後期に「文系クラスの生徒が理転するには最低2年、理系クラスの生徒が文転するにも最低1年はかかる」と言われていた。自分でも割と無謀な挑戦だと思ったりもしたが、なんせとても楽観的な性格だし、自分で言うのも癪だが人生今まで一度も挫折を経験したことがないようなクソガキだったこともあり、割と本気でなんとかなると思っていた。まあ結果的には本当になんとかなったけど。

 

その時点で学校に頼るのはやめたと記述したが、少し訂正。同じクラスにたまたま同じく文転を考えていた友人がいたこともあり、ほぼノリで当時の古典担当の先生に相談したところ課外を執り行ってくれることが決まった。これは冬休み直前から春休みまでの話である。朝イチ課外だったので極寒のなか早起きして登校して勉強するのは本当にしんどかったし辞めたかったけど、まずここで頑張らねばという思いで通い続けた。(ちなみに同クラの文転の子は寒さに負けて本当に早々に離脱したから結局ずっとマンツーマン課外だった)

この課外のおかげで底辺学力だった古典が短期間で一気に成長した。逆に言えば8割方この短期間でほぼ完成した。具体的に言えば、模試の校内順位が後ろにあと一桁しかいないくらいだったのが、高2の終わり頃の第一回模試で校内一桁になるまでに急成長した。10本指に入っちゃったよ。これは自分でも驚いた。元から現代文だけはまだ救いようがある程度だったので古文漢文を攻略したら一発逆転。

 

攻略法を明記しようと思ったが、この時点で無駄に長いのに更に無駄に長くなってしまうし、そもそもこのブログは主にジャニヲタとしての心理状況の移り変わりや葛藤について書くことにしているので、攻略法等の本当の学習面については学校なり塾なり、プロに教わって欲しい。

 

この古典課外と日本史Bの受講を進める中で、やはりジャニヲタとの両立は無理だと改めて感じ、2月中旬には全テレビ露出、ラジオ、雑誌をシャットアウトする。第一歩。拍手喝采。

 

https://ask.fm/My__chu/answer/132466369545

ちなみにコレは、受験生0学期になる前のask.fmの自分の回答。まあ呑気。

 

そしてここまで来てから言うのもなんだが、私は2015-2016の京セラドームでのカウコンにはがっつり入っている。もちろん31日の昼公演も。その時(昼公演)に、UMP前かな?全くセトリも覚えてないが、ケイトが「2015年、やり残したことはないか〜〜〜〜!!!」という煽りをした。私はそこで泣いた。なぜならやり残したことだらけだったから。じつは私の周りの友人は誰1人としてカウコンに入っていない。申し込みすらしていなかったのである。そこで初めて「自分ってクズなのかも…」と気づいたことによる「今の私がいける大学は存在しないのでは」という解釈である。

念の為に言っておくが、当然のようにその年のツアーには振込みはしていない。私1人だったら、もしかしたら「1公演くらい…」という甘い考えをしていたかもしれない。実際同じ学校のJUMP担以外のおたくは夏まで現場には入っていた友人もいた。しかしうちの学校のJUMP担は!!超ストイック!!誰も現場入りたいって言わねえ!!!そんな周りの厳しすぎる環境のおかげで私も踏みとどまることが出来たと、心底感謝している。何故か今はもうほぼみんなJUMP担辞めたけど。悲しい哉。

 

 

そして、大問題の英語である。

まあ出来ない。出来ない。読めない。書けない。致命傷三拍子。

とりあえず基礎固めとして文法を一から洗った。あとめちゃくちゃ単語をやった。当時の自分に出来ることはそれくらいしかなかった。

その時ちょうど高3に進級。担任も変わったが(相変わらず担当教科は理系科目だったので最後まで一度たりとも頼ったことはなかった)、そもそも文転するといっても理系の生徒であることは不変の事実なのでそのまま持ち上がり的に理系クラス。

 

直前の春休みに公開した映画「暗殺教室」、実に呑気に、舞台挨拶の生中継両部入っているという事実。アホか。でもこれくらいはいいと思った。その代わりせんせーションズのPVは封印した。

 

この時はまだ理系科目の授業は寝てたりした。内職が許される科目は日本史などの勉強をしていたが、なんとなく厳しい先生は「受験で使わなくても定期テストがある」とかいう邪道な論理を振りまいて内職を許してくれなかった。だから寝た。(私の勝ち) もちろん定期テストなんて一度も真面目に受けたことはない。名前だけ書いて記号問題だけ選んで後は寝た。それはそれはもうひたすら寝た。もちろん昼間に寝た分、夜はしっかり勉強。

 

多分この春ちょっと前くらいに伊野尾さんの映画主演を知りメレンゲMCを知りめざまし決定を知った。知念担だった私は心底知念担で良かったと思ってしまったし、更に心底伊野尾担に同情した。当時Twitterで「受験生」と検索しようとすると検索欄に「受験生 伊野尾」と出て来た。みんな考えることは同じだな、と思った記憶がある。

ちなみにまず第一回としてムリにSNSを抑圧していたのがこの春だったので、裕翔くんの騒動を知ったのは割と数日後だったりした。同クラの山田担は知ってたが気を使ってその話題には触れてこなかったのである。ジャニヲタそういう気遣いホント大事。一年を通して実感した。

 

しばらくして真剣SUNSHINE発売。我慢できるまでは音源さえも我慢しようと決意し、PVは受験が終わるまで封印することにした。WSでツアーが発表された時には他クラスのおたくのところにいって胸を借りて泣いた。あたかも自分だけが悲劇のヒロインになったようだった。

 

夏前くらいになり、文化祭の時期。行事は全力主義の学校の雰囲気もあり、それはもう全力で準備し、楽しみ、部門別一位に輝いた。金メダル女。準備期間は部活勢が準備を欠席気味になっていたので帰宅部エースの私は腕をふるい、夕方まで全力で準備して夜から深夜遅くまでは塾にこもって勉強に勤しんだ。

 

その後アルバム発売。発売前にとうとう真剣SUNSHINEの音源だけ解禁した。どうしても夏をこれとともに乗り切りたかった。(おかげで今でもマジサンやカップリングを聴くと辛かった当時を鮮明に思い出す) アルバムはご丁寧にフラゲしたが、どうしても三形態買うのは受験生として如何なものかと思い直したので、受験を終えた今でも、未だにFrom.は聴いたことがない。恐らくこの頃からは徐々にTwitterは辞めた。ミュート駆使。

 

そして迎えた天王山。受験生の勝負どき。毎朝8時半から夜22時半まで塾で勉強した。27時間テレビのサポーターに就任した時には本当にやめてくれと思っていたし、ツアーは始まるし、本当に地獄だと思った。本当はHOPEもそし誰も見たかったのにちゃんと我慢した。あまりに根詰めて勉強すると疲れると思って未だに離れられていなかったインスタをよく見ていた。Twitterやめてもご丁寧にインスタで情報を拾ってしまう御時世だった。そういえば伊野尾さんの映画はインスタで知った気がする。おすすめ欄には楽しそうに団扇と写真を撮る現場でのカワイイJUMP 担。軽く死にたくなった。なぜ自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのか、一回くらい現場入ってもいいのではないか、という葛藤と共に過ごした。よく考えたらこんなに辛いのは1、2年生の時にひたすら遊び呆けた自分のせいなのに。典型的な自業自得である。

この時どうしても心に溜まる鬱憤や呟きをどうにかしたくてここのブログで日付と共に落としたりした。今思えばちょ〜〜〜〜どうでもいい。

死にたくなるほど辛い思いをした甲斐あって、夏休みの模試の成績も伸びていた。

 

そして問題の秋。何度も言うが私は知念担。知念くんは暫定秋の男。この年彼は秋に公開映画を2本控えていた。本当の地獄の日々はここからだった。夏休み明け直後の模試終了後、当時はまだ知念担だった友人と駅までガンダし、結果的に参勤交代を公開日に観ている。模試→映画という眼力フル活用で目は疲れ切り、頭痛はひどくなり、結局その日の勉強は困難だった。本当にアホ。本当は参勤交代もう一回くらい見たかったけど我慢した。偉い。

 

ある日の勉強している最中に友人の有岡担から数件のLINEと着信。数時間後に気づいた私は驚愕して即折り返し。塾の非常階段にて有岡担としての彼女の嘆きを延々と聞いていたが、しばらくすると自分がジャニヲタ出来ない反動による愚痴大会(例:「いいよな有岡くんは頑張れば頑張るほど他人を笑顔に出来るんだから」「ワイらが頑張っても誰も笑顔にならねえ」「最悪自己投資」「努力と笑顔の地産地消」等)、更には久しぶりに話したこともあって世間話を花を咲かせた。実に3時間弱。この時も受験生の伊野尾担には同情した。

 

問題の金メダル男公開前番宣露出期。それはそれはもう悲しみが飽和状態だった。自担の月9主演が決まった山田担が打ちひしがれていたが、お互い慰めあって乗り越えた。とか言いつつ映画誌は1日で5冊くらい買ったりした。読まないのに今思えばとてももったいない。ちなみに未だに読んでいないし今更読む気にもならない。もう当時の映画公開を控える知念くんではないのに。

さすがに初日舞台挨拶全国生中継が決まった時には目を疑ったし信じたくなかったし夢かと思った。映画の規模に驚きつつ、本当に泣いた。

映画は見ないつもりだったし、どちらにせよ生中継の日は終日模試だった。

結局この秋までには、金メダル男を避けるためにも一切のSNSをシャットアウトすることになった。割と遅い。

 

ちなみに深イイ話の第一弾は実はこのあたりにあって、禁欲生活を送る姉に同情した弟が金メダル男のプライズ品を取ってきてくれたりした。それはそれはもう思い入れが深い。

 

更には横アリで年末年始単独ドームの発表がされた時にも友人から怒涛のLINEで、結局折り返して塾の非常階段で3時間弱うだっていた記憶がある。もうその時には何も考えたくなかったが、「よりによってなんで今年」「来年ネタ切れ」「先走りすぎ」などと冷酷な文句を並べていた記憶がある。今思えば大変失礼言って本当に申し訳ない。どうぞ好きなことやって下さい。

 

結局FTもギミラも入手はするものの開封せずに年末になったが、年末の番組露出に慄いて諦観に達し、とうとう録画を辞めたのもこの時期。これまではある程度の録画はしていた。全部一切編集せずにディスクに落としているので今部屋にはディスクの山がある。しかも多すぎて見る気にならない。

 

あとはへいせいじゃんぷの曲も聴くの辞めた。応援歌が聞きたかったけどガンバレッツゴーや明日エルくらいしか思い浮かばず、新曲音源が足されないともういい加減聴き飽きたのでへいせいじゃんぷの声もシャットアウトした。もっと応援歌作った方が良いと思うと考えてたが、ワンダーロードとても良い曲だったのでこれは受験期に聴きたかったな本当に…

 

前にブログで「受験生の年越しの仕方がわからない」と書いた。カウコンにも入らず、はたまたカウコンを観ることもせずに一体どうやって年越しするのだろうと本気で考えていたが、結局年越しの瞬間私は志望校の予想問題の英語の長文を読んでいた気がする。気がついたら年明けてたわ、なんて、後にも先にもこれっきりであって欲しい。

 

一番勉強した時期がこの12月。毎日しっかり睡眠を取ることはとても大切だと言われ、6時間睡眠。1日の勉強時間は15時間。ここまできたら美味しい食べ物が〜、とか、癒しが〜、などと言っている場合ではない。メシを食いながら勉強、今まで同じように癒しだった毎日2時間ほどの長風呂も辞めて15分弱のシャワー。当然ながら通学、移動時間も常に勉強勉強の日々だった。 

 

そして迎えたセンター試験。センター利用は出願していたものの、自分としてはさほど気負うこともなく至って普通の模試くらいの感覚で臨んでしまった。相変わらず日本史は間に合っていないのでぼちぼちだったが、英国は目標であるとされる8割程度を押さえたことで、少なからず自分の自信にはなった。

 

ここで深イイ話第2弾の登場だが、センター試験10日前に弟の友達が「センター試験のお守りに」とさぼねんのあのカウコンのチャームをくれた。素直に嬉しかった。さらにそれだけではなく、その1週間後にまた別の弟の友達がさぼねんのチャームをくれた。「勉強お疲れ様、受験無事に終えられますように」という暖かい手書きのメッセージと心遣いは、長い間の禁欲生活と勉強漬けの日々で疲労し切った身体に深く沁み渡り、心から泣いた。さぼねん2個はいらないし、そもそもさぼねん可愛くないからいらないし、なんて思うこともないほどその心遣いが嬉しかった。

 

ちなみに伊野尾さん騒動第2弾は友人から聞いた。その友人はLINEニュースから知ったらしい。そもそもいつの間にLINEにニュースの欄が設けられたのか謎だし、友人共々度々LINEニュースには惑わされているので本当にLINEニュースが嫌いだった。

 

私は最後まで模試は志望校は全てE判定だった。秋頃にCとかDとか取ったこともあったが、冬の模試やセンタープレなど結局は全てE判定。最後まで担任に心配され続けるのも無理はなかったし、ここまできても尚なんとかなる精神でい続けたが、周りの大人はやはり心配だったらしく2月の私立受験の受験スケジュールは鬼のようだった。保険がたくさん必要だったのもある。どれだけ鬼のようかというと、14日中11日が試験。休みは3日。もう鉄人になるしかないと思ったし、ここまできてこんなところで疲れてたまるかという反逆心が疼いたお陰で、やる気は十分だった。

ちなみにセンター1ヶ月前に母がインフルエンザ、私立受験が始まる5日前に弟もインフルエンザにかかっているがそれも乗り越えてるので体力には謎の自信がついていた。

 

そして2月、決戦の月。2月に入ってからずーっと都内で暮らしていたが、特にホームシックにはならない薄情者。試験前半は滑り止め、後半は全て目指していたランクの大学の試験だった。ただガムシャラに試験を受け続けた記憶しかないが、私はここで生まれて初めて「1人で電車に乗る」ということを経験し、1人電車を経験した直後には生まれて初めての満員電車を経験している。あれ人間の乗る乗り物ではないな。あとは、かっぺモンなので後部座席の窓が真っ暗なシルバーのワゴン車?見るたびロケバスかな?って言ってたし朝の渋谷とかクソやばかった。ロケハンかな?っておじさん集団もいたし。田舎モン、試験前に大興奮。都会ヤベーーーー!!

 

結論から言うと、志望していたランクの大学には合格した。あえてそれに順位をつけるならば一番行きたいかもしれない大学とその次に行きたいかもしれない大学には合格していないが、3番目くらいに行きたいかもしれない大学には運良く合格することが出来た。

実は合格発表がその3番目が先だったので目に飛び込んできた「合格」という結果を見て号泣したのだが、1番目と2番目の大学の結果がその後に出てどちらも不合格だったのでその点少し気持ちの良い終わり方が出来なかったのが心残りである。(ちなみに落ちた学校はどちらも満員電車で会場まで行ったところであるのが面白い。恐らく入学してもこれかと勝手に落ち込み戦意喪失したのも不合格の原因の一つであるのではと考えている)

 

ちなみに3番目3番目と呼んでいるその3番手大学もセンタープレまでE判定だったので、E判定から奇跡の逆転合格となった。

私は全て運だと思ったが、実はそれ以下の滑り止めの大学も全て合格しているので、恐らく最後の追い込みが効いたのではと思う。

 

ちなみにあれだけ意識していた伊野尾さんの大学は何故か受けてすらいないのはここだけの話。

 

ここまでジャニヲタ(JUMP担)視点からある程度時系列で並べてみたが自分でも混雑しているのでポイントをまとめておく。

 

  • SNSは早めに断つ(見ても良い事ない、時間の無駄)
  • テレビ録画に執着することはない(恐らく大方ムダになる)
  • 雑誌、買うべからず(少なくとも私はその時その時に読むから楽しいタイプ)
  • 違う沼に要注意(少なくとも私含め周りはみんな坂道Gに推し作ってた。受験終えてJUMP担辞めてそっち一本に絞った友人もいる)
  • 違うことにハマらない(推しとか自担とかではなくこれまで以上に体重管理に力を入れてしまった時期があった。そんなの受験終わってからいくらでも痩せられるのに)
  • 自担が映画を控える場合は心を殺すか受験を捨てる(私の場合は心を殺した)
  • 辛くなったら明るい未来を思い浮かべる(私はひたすら大好きな友人との遠征兼旅行の話ばかりしていた)
  • ひたすら笑う(泣き虫だって下を向かないで顔を上げて大声で笑うこと!)
  • 自信を持つ(少なくとも私は武勇伝を作ってやると意気込んでいた)
  • 明確な目標を持つ(私は目標があまり明確ではなかったから「へいせいじゃんぷ〜(泣)」みたいな状況に陥った。本当に行きたい学校があればそもそもそんな風にはならないはず)

 

《例外》

  • 文理選択を間違えない(自分は極めて特殊な例だが、事前に自分の得意不得意をしっかりと見極めておくことが一番大事。そうしていればもう少しスムーズに受験勉強を進められたはず)

 

大したポイントはなかった。ただ自分が勉強のモチベーションをどう保つのかを自分で模索してみる方が良いかもしれない。

私の場合は知念くんで空いた穴は美味しい食べ物が埋めてくれていると前に呟いたことがあったが、その後も今までは大して関わりがなかった(それも問題だが)ペットをやたら猫可愛がりするようになったりして、私の中での知念くんのポジションみたいなものがなんとなく掴めたことが結構嬉しい。恐らく人生の癒し的な何かなのである。そういう些細なことに気付いて喜んでいたことも効果的だったと思う。

後は友人!!これは本当に大事。どんなに伸び悩んだって、勉強に疲れたって、ストレスが溜まったって、学校に行って息抜きに周りの友達と話すだけで救われることがたくさんあるはず。私は笑い上戸タイプなのでひたすらゲラゲラ笑っていた。笑うことは健康にも良いしストレスも解消されるし、何より自分自身が楽しい。ジャニーズに手を伸ばすのではなくそういうことで補っていったことが吉と出た。

 

ちなみに武勇伝を作ると意気込んでいたとあるが、実際お世話になった塾からわざわざ電話が掛かってきた。内容は「今年度の成績伸び率ダントツ1位だよ!!!」というものであった。嬉しい。だがそれもそうだ。なぜなら私は高2の冬から高3のセンター試験までで、英語の偏差値25の大成長をしているのである。ほぼビリギャル

よく考えれば要するに人一倍めちゃくちゃに伸びしろがありすぎたと捉えることも可能だが、能天気で超絶ポジティブなのでそんなことは考えない。1位は1位だ。

 

私はこうして、春から全国トップの私大を目指していたはずの知り合いや、県トップの高校から一浪した先輩などと同じ大学に行くことになった。「理系クラスの生徒が文転するには一年浪人」とか言ってた学校の先生〜〜〜!!!元気ですか〜〜〜??(最大限の嫌味)

 

なんだかやたら自信を持っている感じになってきたし実際の大学のランクも上の中の下くらいでそこまで威張れるようなところでもないかもしれない(それはそれで大学側に失礼)が、実際校内底辺から塾内トップの伸び率で周りに浪人生も多い中で現役で有名大学に入ることになった経緯を考えたらちょっとは鼻高くしてもいいよね?

 

正直一年頑張ったんだからあと半年くらい勉強休みが欲しいところだけど、それよりも私は離れてしまったJUMP担の友人に戻ってきて欲しいしあと一年戦うことを決めた友人には頑張って欲しいし恐らくまだ試験中の友人にも是非良い結果を聞かせてもらいたいな!!

 

ちなみに私は女子比率の高い学部に行きたかったのに結局3分の2男子の学部に行く羽目になったから事前リサーチは超大切だよ…

本当は大学入学して学生生活を謳歌して「この大学に入って本当に良かった!」と実感した時点ではてブロに着手しようと思ったが、自分の行動次第で入学したことが正解か不正解かなんてすぐに変わるし、そもそも多分その時まで受験期の記憶なんて残っていないだろうということもあり記録した。

 

受験終わって一気に全てのしがらみから解き放たれて一気にに偏差値が半分くらいになってしまった脳みそを使って書き起こしたので理解に苦しむところもあるとは思うが、「ジャニヲタ抑制どころじゃなくジャニヲタ禁止しないと大学受かんねえ!!」という同じような悩みを持つジャニヲタ受験生は疲れた時にでもピョーーーっと読み流してくれたら嬉しい。

 

 

追記:読んでくれた方々賛否両論あるようだが、これはあくまで個人差のあることだと思うので自担を全断ちするとストレス、自担が唯一の癒し、などと考える方は結局はそれが一番だと思う。私の場合はそれが特に知念くんではなくただ美味しい食べ物と我が家のペットだっただけで。

 

 

 

大丈夫だって言い聞かせていれば大概のことは上手くいくよ!!やり方なんてきっとどうにかなっちゃえば正解に変わるよ!!泣き虫だって下を向かないで顔を上げて大声で笑うことが大事だよ!!グッドラック!!